密教学会報 第50号(2012.3) | ||
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少年時代の空海-仏道を志したのはいつか(二)- | 武内 孝善 | (九) |
古事記等の「東寺長者」称号について | 鶴 浩一 | (六五) |
空海と秦氏-高野明神と狩場明神の分別- | 富田 弘子 | (一〇五) |
空海の著作に見られる「身病」と「心病」 | 小池 薫 武内 孝善 |
(一三五) |
「円澄和上受法啓状」の研究-(一)本文校訂- | 山田 壽三 | (一五三) |
インド密教における不動成就法について-ヴァナラトナ作『不動現観』を中心として- | 岡田 勇規 | (51) |
解脱観の変遷に関する一考察 | 桑代 健太郎 | (35) |
プトゥンが伝承した『真実摂経』所説の曼荼羅-四大品の大曼荼羅を中心に- | 川崎 一洋 | (1) |
高野山大学論叢 第四十七巻(2012.2) | ||
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少年時代の空海-仏道を志したのはいつか- | 武内 孝善 | (一) |
『嵯峨天皇甘露雨』第四「四国遍路」の考察 | 下西 忠 吉田 馨 |
(三三) |
空海『梵字悉曇字母并釈義』における典故-「弄玉難信」「案剣夜光」について- | 南 昌宏 | (五一) |
サー・ジョシュア・レノルズのミケランジェロ再評価について | 高倉 正行 | (23) |
ふたつの地域アーカイブズ-DIVAとGLBT歴史協会の取組みを事例として- | 藤吉 圭二 | (1) |
高野山大学密教文化研究所紀要 第25号(2012.2) | ||
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空海漢詩文研究 喜雨歌の制作時期と解釈 | 中谷 征充 | (一) |
後宇多院関係史料・研究文献目録稿(上) | 坂口 太郎 | (74) |
The English translation of shes rab (prajñā) by the 14th Dalai Lama and the list of English words for the fifty-one mental factors (sems byung lnga b cu rts a gcig) | 辻村 優英 | (114) |
ラトナラクシタのガナチャクラ儀軌和訳研究 | 静 春樹 | (150) |
『十一面観世音神呪経』の形成と展開について | 大塚 伸夫 | (170) |
密教学会報 第49号(2011.3) | ||
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高野山大学図書所蔵『真然僧正伝』-翻刻と解題- | 武内 孝善 | (五) |
高野山古絵図の研究-高野山大学所蔵本を中心として- | 大津 美月 | (五五) |
門跡寺院を視点とした真言宗の優位性 | 小野田 裕之 | (五九) |
瑜伽行派における種姓論の展開に関する一考察-『菩薩地』「種姓品」と『大乗荘厳経論』「種姓品」- | 岡田 英作 | (49) |
『理趣経』にみられる如来蔵思想についての一考察-「有情加持法門」とその背景をめぐって- | 丸谷 芳弘 | (31) |
『理趣広経』に説かれる世間の曼荼羅について | 川崎 一洋 | (13) |
金剛界マンダラに描かれる賢劫千仏 | 乾 仁志 | (1) |
高野山大学論叢 第四十六巻(2011.2) | ||
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『常盤井殿記録』について | 中村 本然 | (一) |
後宇多法皇の密教と大覚寺統における相承 | 渕田 雲渓 | (二六七) |
体制転換とアーカイブズ-ハンガリー国立アーカイブズを事例として- | 藤吉 圭二 | (1) |
高野山大学密教文化研究所紀要 第24号(2011.2) | ||
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姚べん撰『三教不斉論』(石山寺所蔵)写本の翻刻 | 藤井 淳 | (一) |
澄禅著『四国遍路日記』を読み解く-札所の様子を中心に- | 柴谷 宗叔 | (四七) |
『篆隷萬象名義』における俗字の研究(3)-付録・『篆隷萬象名義』俗字表- | 大柴 清圓 | (124) |
『マハーマーヤーと名づける陀羅尼』について-梵文校訂テキストと訳註を中心に- | 大観 慈聖 | (148) |
『理趣広経』「真言分」所説の五部曼荼羅について-資料篇- | 川崎 一洋 | (168) |
An Annotated Translation of Kūkai's Secret Key to the Heart Sūtra | Thomas Eijō Dreitlein | (216) |
密教学会報 第48号(2010.3) | ||
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越智・木本両先生の退職に思う | 伊藤 一雄 | (一三) |
雑感-嵯峨天皇の人柄- | 下西 忠 | (一七) |
書学原説-木本南邨先生の教え- | 山越 琢矢 | (二一) |
金剛三昧院蔵『佛舎利寶珠同躰事』の研究(一) -翻刻と書誌的概要- |
武内 孝善 | (二五) |
日本文化と福祉文化 | 山口 幸照 | (四九) |
最澄の得度と「延暦二十四年官符」-空海の得度をめぐって- | 山田 佳雅里 | (五九) |
不空訳『理趣経』「獲得如来及執金剛位」についての雑感 | 山田 弘徳 | (八五) |
弘法大師の四恩思想の再検討 | 新井 徳一 | (九九) |
『即身成仏義』における持明悉地と法仏悉地について | 菊池 洋太郎 | (一一九) |
『声字実相義』について | 岩本 幹夫 | (一三七) |
現図曼荼羅の図像比較-デジタル画像処理による系統追究- | 野口 博司 | (51) |
Sarvārthasiddha と Sarvārthasddhi について | 德重 弘志 | (39) |
プトゥンの『曼荼羅を明らかなしめる太陽の光』に説かれる『大日経』の身曼荼羅について | 川﨑 一洋 | (13) |
情報処理から情報発信へ-高野山大学での情報教育- | 藤吉 桂二 | (1) |
高野山大学論叢 第四十五巻(2010.2) | ||
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オランダにおける高齢者のターミナルケア | 斎藤 尚子 | (87) |
長期留年学生の心理及び行動の特徴 -ひきこもり経験のあるアパシー青年の実例とロールシャッハ・テストの結果を通じて- |
森崎 雅好 | (71) |
過疎地における大量の人口移動を伴う観光事業への取組み -奄美大島・龍郷町を実例として- |
藤吉 圭二 | (55) |
Sir Joshua Reynolds-模範・自然・理想美について- | 高倉 正行 | (37) |
チョムデンリクレル著『大乗究意論荘厳華』和訳および校訂テクスト(1) | 加納 和雄 | (13) |
如意宝珠の譬え-シャーンタラクシタの仏陀観- | 生井 智紹 | (1) |
高野山大学密教文化研究所紀要第23号(2010.2) | ||
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真言教学における生死観-特に道範の周辺を中心として- | 中村 本然 | (1) |
『檀持羅麻油述経』に見る初期密教の特徴 | 大塚伸夫 | (62) |
『マハーマーヤー・タントラ』第3章第7偈~第3章第18偈に対するアランカーラシュリーの解釈 -『大幻 と名づける難語釈』の梵蔵校訂テキストと訳註を中心に- |
大観慈聖 | (104) |
ゲドゥンチュンペー著『世界知識行』第一章和訳 -1930年代のチベットにおける梵文写本調査記録- |
加納 和雄 | (146) |
サキャパンディタの『ガナチャクラ儀軌』和訳 | 静 春樹 | (192) |
プラジュニャーパーリタのプラティシュター儀軌 | 川﨑 一洋 | (208) |
密教文化 第223号(2009.12) | ||
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仏教新潮流と密教-シンポジウムと講演会の記録- | 奥山 直司 | (一) |
平成二十年度シンポジウムアメリカ仏教の新潮流-エンゲイジド・ブディズムを中心として- | ロバート・ローズ | (五) |
東南アジアの仏教-ミャンマー・タイなどの例を通して- | 蓑輪 顕量 | (三三) |
台湾人間仏教 | 田中 智岳 | (四九) |
仏教新潮流と現代真言宗の課題-パネリストとしての話題提供- | 室寺 義仁 | (六五) |
平成二十一年度公開講演会私とエンゲイジド・ブッディズム | 阿満 利麿 | (六九) |
密教文化 第222号(2009.3) | ||
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「勅賜屛風書了卽獻表幷詩」の「十韻詩」と「御製詩」との比較及び内容の考察 | 中谷 征充 | (一) |
最澄の得度をめぐって | 山田 佳雅里 | (三七) |
クリシュナ阿闍梨のガナチャクラ儀軌 | 静 春樹 | (67) |
『マハーマーヤー・タントラ』第1章第18偈、第1章第23偈~第2章第5偈に対するアランカーラシュリーの解釈 -『大幻と名づける難語釈』の梵蔵校訂テキストと訳註を中心に- |
大観 慈聖 | (27) |
『具舎論』における三千大千世界の構造 | 谷口 真梁 | (9) |
密教学会報 第46・47合併号 静慈圓先生退休記念号(2009.3) | ||
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【先進青箱】 | ||
静氏との半世紀 | 加地 伸行 | (1) |
これからが大事 | 新居 祐政 | (4) |
静先生への期待 | 壽山 良知 | (7) |
日本に息づく長安の伝統 | 山崎 泰廣 | (10) |
玄奘への旅 | 山折 哲雄 | (14) |
静先生に思う | 北條 賢三 | (18) |
静慈圓先生と『性霊集一字検索』 | 福田 亮成 | (21) |
「静慈圓先生退職」に思うこと | 池口 恵観 | (23) |
空海の世界に踏み込んだ静慈圓先生 | 韓 昇 | (33) |
【高野山大学での関わり】 | ||
思い出すことなど | 伊藤 一雄 | (41) |
墨縁 | 木本 慈久(南邨) | (44) |
若かりし日の静慈圓先生 | 藤田 光寛 | (49) |
越州における空海-華厳和尚とはだれか- | 武内 孝善 | (52) |
静慈圓教授との思い出 | 山口 照幸 | (76) |
静先生の思い出 | 乾 仁志 | (79) |
〈随想〉ゆく河の流れは絶えずして | 中村 本然 | (85) |
静先生お元気で! | 奥山 直司 | (92) |
静慈圓先生の実践行 | 北川 真寛 | (95) |
【学問を通じての関わり】 | ||
修士時代の静さん | 朝山 幸彦 | (98) |
静先生のこと | 小峰 彌彦 | (101) |
書論研究第一歩のころ | 岸田 知子 | (104) |
静さんとの思い出 | 塘 耕次 | (107) |
過ぎしことども | 林 宏作 | (110) |
静さんとの出会い | 宇佐 美一博 | (114) |
仏教学とは何かを考える | 廣澤 隆之 | (117) |
僧侶と学者の狭間で | 大柴 清圓 | (132) |
密教記号論-観法における種子の意義- | 内海 誠仁 | (136) |
【僧としての関わり】 | ||
朋友としての静慈圓先生 | 庄野 光昭 | (143) |
慈しみのご縁によせて | 小松 庸祐 | (146) |
浄徳寺創建八百五十年の石碑の不思議 | 宇賀 芳樹 | (150) |
即身成仏の核心をつかれた稀有な存在 | 岩坪 真弘 | (155) |
全人の光 | 密門 光範 | (159) |
栴檀は双葉より芳し | 福島 誠浄 | (162) |
曼荼羅の人 | 吉田 叡隆 | (165) |
慈圓さん-あるいは“お大師さん”とも- | 伊藤 浄厳 | (169) |
静慈圓先生のこと | 山田 戒乗 | (176) |
静慈圓先生ご退職によせて | 大西 智城 | (180) |
昭和のころの静さん | 嶋 裕海 | (184) |
ニックネームは、お大師さん | 高山 光延 | (191) |
高誼四十年 | 添田 隆昭 | (193) |
発心即到 | 坎 宥行 | (197) |
静先生の思い出 | 山下 釈道 | (204) |
【中国での関わり】 | ||
「空海信仰の師」としての静慈圓先生 | 大橋 松行 | (208) |
「空海入唐の道」と現代中国巡察の「お先達」 | 櫻井 圀郎 | (217) |
高野山大学静慈圓教授千二百年の時を越えて 弘法大師空海以来の歴史的偉業なる |
川田 薫 | (223) |
法味を嘗める | 近藤 堯寛 | (236) |
尊敬する静慈圓先生との思い出 | 何 思源 | (245) |
善無畏三蔵信仰と空海の入定 -「舎利信仰」「大師一〇〇〇年の夢」を通じて- |
荒木 巍彰 | (248) |
お大師さまを求めて中国へ | 三宅 一弘 | (256) |
敦煌と高野山の間-静慈圓先生を送る- | 劉 永増 | (264) |
静慈圓大徳と私 | 王 一鳴(益鳴) | (268) |
静慈圓阿闍梨の弟子となって | 李 真圓 | (272) |
【合気道を通じての関わり】 | ||
いろいろなご縁をいただいて | 森 明弘 | (276) |
お大師さまに選ばれて高野山へ | 浜川 信裕 | (282) |
合気道を通じての関わり | 中山 寛 | (286) |
よっしゃ・・・もう一丁 | 荒木 義典 | (291) |
【書道を通じての関わり】 | ||
静慈圓先生とのご縁 | 管 智潤 | (296) |
書の朋-慈圓- | 春藤 大耿 | (302) |
四十数年一睡の夢 | 佐和 靖石 | (306) |
静先生の退職にあたって | 清水 桂月 | (308) |
気さくな静先生に接して | 山本青杏 | (312 ) |
静慈圓先生の出会い | 樫本 智照(桑牛) | (315) |
高野山大学で書を学んで | 川崎 大開 | (319) |
高野山大学で書を学んで | 北條 昌宏(大璞) | (323) |
【仏画・医療・音楽を通じての関わり】 | ||
静慈圓先生と仏画 | 中村 幸真 | (326) |
尚志社々友のご縁をつうじて | 大下 大圓 | (330) |
出会い | 柳 雄二 | (334) |
出会いと別れ | 静 慈圓 | (339) |
高野山大学論叢 第四十四巻(2009.2) | ||
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国語教材と文学研究-古文入門教材(児のそら寝)の解釈- | 下 西忠・山本 七重 | (一) |
高野山大学図書館・光明院文庫蔵典籍文書目録(四) | 武内 孝善 | (一九) |
さまざまな教育相談活動の中から | 原田 剛志 | (83) |
スピリチュアルケアの将来的展望 | 前谷 彰(恵紹) | (75) |
神仏分離令以前の仏典梵文写本管見-『パンドルスキー目録』序文の和訳- | 加納 和雄 | (31) |
『小空経』における空の実践的構造 | 井上 ウィマラ | (13) |
デューイ教育論における経験の意味 | 山脇 雅夫 | (1) |
高野山大学大学院紀要 第11号(2009.2) | ||
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ヘーゲルの教育観-ルソーとの比較を中心に- | 山脇 雅夫 | (一) |
肥前国松浦郡田浦考序説 -遣唐使の風待港、相子田手停・合蚕田浦・肥前田浦を新たに考える- |
吉見 博 | (五) |
秘蔵記の成立問題 | 細川 真永 | (四三) |
仁和寺蔵本『光明眞言法記 寛信御説』-翻刻と紹介- 平成十九年度研究概要 平成二十年度研究概要 |
蒲池 和憲 | (六一) |
『篆隸萬象名義』の部首一覧并に部首索引表 | 大柴 清圓 | (27) |
南方熊楠によるマンダラの思想の受容について | 神田英昭 | (17) |
原図曼荼羅図像研究 -「赤紫綾金銀泥絵」(高雄曼荼羅)「絹本著色両界曼荼羅図」(血曼荼羅) 「絹本著色両界曼荼羅図残闕」(甲本)のデジタル画像処理による比較検討- |
野口 博司 | (1) |
高野山大学密教文化研究所紀要 第22号(2009.2) | ||
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『声実相義』への言語的接近-意思伝達か、世界創造か- | 棚次 正和 | (1) |
『篆隸萬象名義』における俗字の研究(2) -魏晋から随唐までの楷書の俗字- |
大柴 清圓 | (90) |
『大乗起信論』における信仰と修行の相互関係 | バーケルマンス ・ペテロ |
(108) |
『マハーマーヤー・タントラ』第1章第3節~第1章第5偈に対する ラトナーカラシャーンティとアランカーラシュリーの解釈 |
大観 慈聖 | (138) |
ゴク・ロデンシェーラプ著『書簡・甘露の滴』-訳注篇- | 加納 和雄 | (196) |
プトゥンのガナチャクラ儀軌『大楽遊戯』和訳(2) | 静 春樹 | (258) |
アーナンダガルバのプラティシュター儀軌 | 川崎 一洋 | (288) |
ジャガッダラで発見された五祠堂型寺院の最古の遺構 | モシャラフ・ホセイン (翻訳・解説) 奥田 直司 |
(298) |
『理趣経(150頌般若経)』の新出サンスクリット写本 | 苫米地 等流 | (316) |
高野山大学密教文化研究所紀要 第25号(2012.2) | ||
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東寺長者攷-九・十世紀を中心として-(下) | 武内 孝善 | (1) |
唐土における『大日経』注釈書の成立過程-『温古序』を中心として- | 清水 明澄 | (49) |
写し霊場と新規霊場開設の実態について | 柴谷 宗叔 | (73) |
ポウバー、それともタンカ?-チベット在住のネワール人たちが発願した仏教絵画- | 吉崎 一美 | 124(5) |
密教文化 第221号(2008.12) | ||
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東寺長者攷- 九・十世紀を中心として - | 武内 孝善 | (1) |
『十地経第八地』におけるadhiṣṭ h?naについて | 平賀 由美子 | 76(107) |
真言宗における『大仏頂陀羅尼』の伝持とその内容について-円行師請来『註大仏頂真言』を中心に- | 大柴 清圓 | 106(77) |
密教研究会六十周年記念シンポジウム(2008.3) | ||
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シンポジウム「霊性の文化-いのちをめぐる学術の状況-」抄録 | 南 昌宏 | 116(67) |
「いのち」「スピリチュアリティ」の言語状況-ユダヤ思想から想う- | 手島 勲矢 | 130(53) |
霊性の人間学は可能であるか | 棚次 正和 | 146(37) |
いのちの危機とケアの霊性-新霊性文化の底流- | 島薗 進 | 170(13) |
密教学会報 第45号(2008.3) | ||
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『遺告二十五ヶ条』と『空海僧都伝』の項目対照表 | 武内 孝善 | (1) |
空海入唐の周辺-留学僧選任時期をめぐって- | 山田 佳雅里 | (21) |
『御遺告』にみる東寺長者の称について | 清水 明澄 | (53) |
「生かせいのち」の理念は教育現場にこそ必要 | 林 美朗 | (77) |
彙報 | (81) | |
ボロブドゥールの五仏思想研究 | 鎌田 弘志 | 104(17) |
三千世界の構造 -『倶舎論』「世間品」における風輪の大きさを中心に- |
谷口 真梁 | 120(1) |
高野山大学論叢 第四十三巻(2008.2) | ||
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スピリチュアリティと儒教 | 南 昌宏 | (一) |
持経者?実の慈悲行 | 下西 忠 | (一一) |
高野山大学図書館・光明院文庫蔵典籍文書目録(三) | 武内 孝善 | (二七) |
五薀と無我洞察におけるasmiの位相 | 井上 ウィマラ | (61) |
輪廻の原因としての無明-諸々のサンスカーラについての無知- | 室寺 義仁 | (47) |
教育哲学の基礎としてのフイヒテの像の理論(その1) | 山脇 雅夫 | (31) |
宗教的慈善と重源 | 山口 幸照 | (21) |
発達障害と児童虐待-事例研究を中心として- | 西川 みち子 |
高野山大学密教文化研究所紀要 第21号(2008.2) | ||
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秘密と開顕のあわい-密教が顕教化するとき- | 棚次 正和 | (1) |
道範撰『金剛頂経開題勘註』について | 中村 本然 | (29) |
ラトナーカラシャーンティ註『クスマーンジャリ』にみる 『秘密集会タントラ』第18章-第25偈~第28偈、第178偈の解釈 |
大観 慈聖 | (88) |
『篆隸萬象名義』における俗字の研究(1) -後漢の隷変字から魏晋の草書の楷書化まで- |
大柴 清圓 | (140) |
ベンガルのバウルとインド密教-ラロンの歌における詩的表現を通して- | 外川 昌彦 | (160) |
『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』における初期密教の特徴 -ウパセーナ比丘説話を中心として- |
大塚 伸夫 | (188) |
高野山大学大学院紀要 第10号(2008.2) | ||
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阿刀宿禰氏攷-空海の母の出自をめぐって- | 武内孝善 | (一) |
-高貴寺蔵新出の梵文『金剛般若経』写本について 平成17年度研究概要 平成18年度研究概要 |
奥風 栄弘 | (三三) (四三) (五二) |
信教の自由とは-廃仏毀釈事件を経て仏教が得たもの- | 番場 實 | (39) |
高祖大師の教学におけるスピリチュアリティ | 浅田 慈照 | (25) |
弘法大師による真言密教の正統性の証明-中国碑林博物館所蔵『不空三蔵碑』を通して-付『不空三蔵碑』 | 翻刻・訳注 大柴 清圓 |
(1) |
密教文化 第219号(2007.12) | ||
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東密における『教時義』受容の一考察 | ||
-「『宝鑰』の二失」「『宝鑰』の三失」について- | 橋本 文子 | (1) |
『大日経』の注釈書の書誌学的研究 | 清水 明澄 | (25) |
「奉謝恩賜百屯綿兼七言詩詩一首并序」と「御製詩」 | 中谷 征充 | (41) |
遣唐判官高階遠成の入唐 | 山田 佳雅里 | (73) |
金剛乗がもった女性観序説 | 静 春樹 | 136(9) |
密教文化 第218号(2007.3) | ||
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『空海僧都伝』と『遺告二十五ヶ条』 | 武内 孝善 | (1) |
空海の「自性」観-菩提心との関連を中心として- | 白石 祐佳 | (37) |
【シンポジウム「高野山学」】 | ||
高野の聖たち-高野山一心院谷の場合- | 山陰 加春夫 | (57) |
庶民の熊野詣の諸問題 | 鈴木 景二 | (83) |
中世前期の高野参詣と宿所 | 大村 拓生 | (95) |
『十地経』序章におけるanubh?vaとadhiṣṭ?naについて | 平賀 由美子 | 146(7) |
高野山大学論叢 第四十二巻(2007.2) | ||
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空海はいつ長安を出立したか | 武内 孝善 | (一) |
ウパニシャッドにおける光の観念 | 前谷 恵紹(彰) | (27) |
救済者としての仏陀-『スッパニーダ』を中心として- | 谷川 泰教 | (1) |