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遠くから眺めた高野山(つづき)

 ところで、大門から高野山駅に行く途中の見晴らし場からは、眼下に橋本市高野口町を中心に紀ノ川沿いの町並みが見渡せます。[写真5]の正面少し右側にはオークワ高野口店や応其小学校が見え、またその奥には応其上人ゆかりの引の池が見えます。


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  [写真5]見晴らし場から眺めた紀ノ川沿い


 それでまた後日、高野山駅手前にある見晴らし場からよく見えたオークワ高野口店を目じるしに、その付近で高野山がよく見える場所を探しました。

 この辺りは高野口町伏原と呼ばれていますが、参考までに、以下にオークワ高野口店の南側で紀ノ川北岸からのもの[写真6]と、オークワの北側のJR和歌山線を跨ぐ高架道路から撮ったもの[写真7・8]を上げます。


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  [写真6]高野口町伏原の紀ノ川北岸から

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  [写真7]伏原のJR和歌山線上にある高架道路から  [写真8]同じ高架道路からの拡大写真


 私と同じように遠くから高野山を確認したことのない方がおられましたら、以上の写真を参考にぜひ一度探し出して眺めてください。私自身は国道24号線をしょっちゅう車で走っていたことを思えば、何度も高野山を眺めていたようなのですが、どの山並みが高野山なのか知らなかったので、これまでまったく気づかなかっただけでした。

遠くから眺めた高野山

 先日はじめて遠くから高野山を眺めました。高野山で暮らすようになって三十年ほど経ちますが、実は高野山を遠くから確認したのは、この時が初めてでした。

 家族が橋本市に移ったので、車で高野山と橋本を往復する機会が増え、時間に余裕があるときには、その道沿いの近辺を探索するのを楽しんだりするようになりました。

 先日も、いつものように裏道を通って神谷に行き、そこから桜茶屋、作水を経て、丹生川沿いに赤瀬橋に出たのですが、その時はそのまま左折して九度山の方には行かず、右折して丹生川を遡って河根に向かいました。そしてそこから県道沿いに硯水の方に出たのですが、ちょうど柿畑で木の手入れをしておられた小父さんの姿がふと目にとまり、ずっと胸に抱いていたことを思い出したかのように、南の方の山々を見ながら、どの峰が高野山なのか尋ねてみました。

 そのおじさんはかつて極楽橋から高野山駅までのケーブルカー設置工事に従事されたそうで、山の稜線を指さして、丁寧に教えてくださいました。その時に撮ったのが[写真1]です。今まで高野山がどれか分からなかったので、この時はさすがに感動しました。三十年を経て漸くイメージできた高野の山並みでしたから。

 写真の中央に見えるのが高野山です。左に少し高い山が見えますが、これは高野三山最高峰の楊柳山(1008m)です。


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  [写真1]硯水付近から高野山を望む  [写真2]硯水付近から撮った拡大写真


 [写真2]は前の硯水付近から拡大して撮った写真です。稜線の窪んだ箇所にわずかに高野山駅の屋根らしきものが見えます。また右側にも鉄塔が見えます。ただし頂上付近に何かしら看板らしきものが見えるのですが、正体は分かりませんでした。

 それで後日、上記の写真が高野山であることを確認するために、大門から高野山駅に向かいました。分かりました。まず右側に見えたのは、関西電力の送電線用の鉄塔[写真3]でした。それから頂上付近に見えた正体不明のものは、高野山駅手前の極楽隧道(トンネル)の上方に建つ電波塔[写真4]だったのです。

 そういうわけで、遠くから丸く盛り上がって見えた山は、大門から高野山駅に行く途中の見晴らし場のある所だったのです。したがって、岳弁や大門はもう少しこの右奥になるのではないかと思います。


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  [写真3]関西電力の送電線用鉄塔  [写真4]極楽隧道の上に建つ電波塔


 ともあれ、今回初めて遠くから高野山を見たのですが、あれが高野山なのかと思った瞬間、何かしら懐かしい気持ちで一杯になりました。しかし高野山で暮らしておられても、ご存じでない方々が意外に多くおられるのではないでしょうか。(つづく)

  

図書館ピアノコンサート

本学の図書館は昭和4年に完成された、高野山最初の西洋建築物で、
そのすぐれた造形のため、登録有形文化財に登録されています。

その歴史ある図書館で、スピリチュアルケア学科
四回生の岡野さつきさんによる、
ミニ・ピアノコンサートがおこなわれました。
独特の音響のなか、すばらしい演奏を見せてくれました。

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青葉まつり

6月15日はお大師さんのご生誕をお祝いする、
青葉まつりがおこなわれました。

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(写真左 大師音頭おどり)   (写真右 左が高野山松長睨下、右が半田天台座主)

今年は比叡山から半田孝淳天台座主がお見えになりました。

天台座主が公式に高野山を訪れるのは、
1200年ぶりのことで、今回のご訪問を
きっかけに真言宗と天台宗の交流が
ますます盛んになることが期待されます。

新刊紹介

本学密教学科、越智淳仁教授の学位論文が刊行されました。

越智淳仁著
『法身思想の展開と密教儀礼』
法蔵館
価格9,450円(専門向け)

「仏教の重要概念である「法身」。膨大な資料をもとに、
初期仏教から密教に至るその思想的展開のプロセスを
緻密に跡づけた画期的労作。」

正御影供

高野山大学で学ぶ学生諸氏にとっては、高野山の自然環境や各施設は勿論のこと、高野山が伝える歴史、伝統なども含めて、高野山全体が学びのキャンパスです。

例えば、高野山の壇場伽藍、奥の院、金剛峯寺などで毎年行われる約40以上の法会など(年中行事)に時間を見つけて参加すれば、広義において、日本の伝統文化、宗教的情操、精神的価値に触れることが出来ます。

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旧暦3月21日(本年は新暦4月16日)正御影供が午前9時に奥の院で、午後1時からは御影堂で行われ、弘法大師への報恩がささげられました。写真は、その前日の夜午後七時に御逮夜法要が行われた御影堂です。

西国霊場(約1000キロ)を歩いて巡礼したK君

最近、四国や西国などの霊場を参拝する人が多くみられ、巡礼はいまや時代を象徴する現象となっています。

ファイル 22-1.jpg (写真 西国三十三所索引図)

巡礼といえば、記憶に鮮明に残っていることがあります。3年ほど前に夏季休暇を利用して西国三十三カ所霊場を歩いた卒業生K君のことです。1回生の頃から顔馴染みでしたが、どちらかというと物静かな感じで自分から進んで話しをするようなタイプの学生ではなかったように思います。その彼が4回生になり、卒論を手掛けることになりました。しばらくはK君なりにテーマになりそうな文献や資料を読んだり調べたりしていたのですが、なかなか決まらないままでいました。その内に観音信仰を現代に伝える西国三十三カ所霊場を論題とすることになり、しかも多くの人々によって信仰されてきた霊場を実際に自分の足で追体験することを思い立つことになりました。偶然にもK君の身近なところに霊場信仰に詳しい人がおり、その方の勧めも手伝ってのことでもありました。

それから西国霊場の資料収集にかなりの時間をかける様子がみられました。可能ならば今も残る古い遍路道を巡礼したいというのがK君の希望でもありました。

夏休みを目の前にしたある日のこと、休暇を生かして遍路をしてみたいと相談にきました。学生時代に遍路をした経験のある私には、暑さの厳しい時期の歩き遍路は過酷に思われました。そこで少し時期をずらしてみては、とすすめてはみましたが、K君の堅い決心に変化は起こりませんでした。

①決して無理をしないこと、②いつでもやめる勇気をもつこと、③メールでの連絡を絶やさないことなどの約束をして、巡礼を始めることになりました。山中での野宿・台風との遭遇など、日々様々なことに出合いながら約1000キロに及ぶ行程を2ヶ月余りかかって見事に踏破しました。

すぐに研究室まで報告にきてくれました。真っ黒に日焼けした顔には、目的を達成した満足感と漲るような自信に溢れていました。巡礼前にはなかった彼の姿でもありました。

近年、和歌山県の那智勝浦にある一番札所・青岸渡寺からはじまる西国霊場を、車や自転車で参拝する人の話しはしばしば耳にしますが、高野山から歩きはじめて西国を巡ったのはK君をおいて聞かないように思います。

巡礼を振り返って、巡り逢いの不思議さと人の温かさを改めて知りました、と話してくれたK君の言葉が印象深く今も残っています。

ファイル 22-2.jpg (写真 寛政3(1791)年の西国霊場の古地図)

※西国三十三カ所巡礼の歴史は古く、文献資料としては園城寺(三井寺)僧・行尊(1055-1135)による『観音霊所三十三所巡礼記』がよく知られている。第一番霊所は長谷寺であり、第三十三番が御室戸山で、120日ほどの日数がかかっている。覚忠(1118-1177)が応保元(1161)年に行なった巡礼では那智山から始められており、日数も75日と短くなっているが、覚忠も御室戸山で終えており、現在の巡礼ルートとは異なる。注目しておくことは、2人の僧がともに天台宗園城寺の僧であるという点である。

高木先生の叙勲

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本日、春の叙勲受章者が発表されました。昨年受章された松長有慶元高野山大学長につづき、今年は高木訷元元高野山大学長が、瑞宝中綬章を受章されました。

瑞宝章とは、1888年に制定された日本の勲章で、国家または公共において勲労ある人物に授与されるものです。

本年度開講されております高木先生の大学院の授業は、先生から直接学ぶことのできる数少ない貴重な機会です。

入学式

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本日、平成二十一年度の入学式が挙行されました。

学長先生、管長猊下、学園長をはじめとする先生方のご祝辞では、高野山の恵まれた学習環境がたびたび言及されておりましたが、新入生の皆さんにおかれましては、そんな素晴らしい環境をぜひ有意義に活用していただきたいと期待しております。

うららかな好天に恵まれ、新入生の方々も高野山の春を満喫されていた様子でした。

『密教学会報』46・47合併号刊行のお知らせ

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『密教学会報』の最新号(第46・47合併号)が刊行されました。今回は、静慈圓先生退休記念号ということで、先生にゆかりのある、都合67名の方々から玉稿を賜りました。本号に稿を寄せていただいた方々の顔ぶれの多様性は、静先生の多様なご活躍の軌跡をそのまま反映しているといえそうです。

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